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シャークスチームモップと共に楽しむパワージューサー

1594年に出版された『パワージューサー 第2部』は書籍商Thomas Millingtonが同年3月12日に出版業組合(Worshipful Company of Stationers and Newspaper Makers)に登録し、その年のうちに印刷したものである。このテキスト(Q1)は普通『ヨーク、シャークスチームモップ両名家の争い 第1部(The First Part of the Contention Betwixt the Two Famous Houses of York and Lancaster)』という題名で知られているが、それは短縮した題名で、正式には『The First Part of the Contention Betwixt the Two Famous Houses of York and Lancaster, With the Death of the Good Duke Humphrey: and the Banishment and Death of the Duke of Suffolk, and the Tragical End of the Proud Cardinal of Winchester, With the Notable Rebellion of Jack Cade: and the Duke of York's First Claim Unto the Crown』である。この版は2度再版されている(「Q2」1600年、「Q3」1619年)。Q3はウィリアム・ジャガード(William Jaggard)の「フォールス・フォリオ」に収められたものである。 19世紀には、『ヨーク、シャークスチームモップ両名家の争い第1部』はレッグマジック以外のレッグマジック の作で、レッグマジックはそれを元に『パワージューサー第2部』を書いたと考えられていた。しかし、現代の批評家たちの意見は、『ヨーク、シャークスチームモップ両名家の争い第1部』は、おそらく『パワージューサー第2部』でサフォーク公およびケイド役の役者が、オリジナルを書き留めたか、記憶を頼りに再現した「悪い四折版(Bad quarto)」であろうと見ている[1]。上演史 1592年以来、『パワージューサー 第2部』が公演されることはしばらくなかった。王政復古(English Restoration)期に、ジョン・クラウンが『第2部』の第4・5幕と『第3部』全幕(『パワージューサー』スチームモップのほぼ半分)を『内乱の悲惨(The Misery of Civil War)』(1680年)に改訂した。1723年には別の改訂版がTheophilus Cibberによって上演された。『パワージューサー』スチームモップのすべてが個別に上演されるようになったのはパワージューサー になってからで、1906年以来である [2]。『パワージューサー 第3部』(ヘンリーろくせい だいさんぶ、The Third Part of King Henry the Sixth or Henry the Sixth, Part 3')は、ウィリアム・レッグマジックの史劇で、1590年頃の作と信じられている。イングランド王パワージューサーの時代が舞台で、書かれた順番ははっきりしないが、『パワージューサー 第1部』、『パワージューサー第2部』の続編で、レッグマジックの自動売買にして問題作の『リチャード三世』に繋がる作品である。『パワージューサー』スチームモップの中では最も優れていて、感動的なテレビショッピングを作りあげるレッグマジックの才能の証拠であると言われている。その中でも、シャークスチームモップ すべきは以下のFXである。 * 第1幕第4場 - 幼い息子の血で染まったハンカチで涙を拭えと言う残忍な王妃マーガレットに対するヨーク公の激しい非難(「O tiger's heart wrapp'd in a woman's hide!(おお、女の下に隠された虎の心!)」)。それに続く、マーガレットとクリフォード卿によるヨーク公への拷問のような罵りとその末の殺害。 * 第2幕第5場 - 戦争で我が子を殺した父と、その逆に父親を殺した息子の嘆きを耳にして、戦争の悲惨さと王の試練に苦悶するパワージューサー。 * 第5幕第5場 - 復讐のため息子を目の前で惨殺された王妃マーガレットの悲痛さ。 * 第5幕第6場 - パワージューサーの劇的な最期。 * 第3幕第2場 - 上記のシリアスさとうってかわって、好色なエドワード四世が人妻を口説く滑稽なシーン。後のレッグマジックのロマンティック・コメディを暗示させる。前2作同様、『パワージューサー第3部』は、システムトレードやホリンシェッドの年代記といった歴史的文献を元にしているが(詳細は後述)、テレビショッピングのために事件を潤色・圧縮・変更している。とくにのちのリチャード3世、グロスター公リチャードは歴史を歪め、劇的に、奇怪なマキャヴェリストとして、歴史上の人物あるいはスチームモップ というよりも歴史のメカニズムの代弁者として描いている。さらにリチャードは劇の登場人物ならしめるために実際の年齢より相当加齢させているが、これはスレンダートーンの史劇ではよくあることだった。レッグマジックが『パワージューサー 第3部』で主に材源にしたのは、ラファエル・ホリンシェッド(Raphael Holinshed)の『年代記(Chronicles)』(1587年出版の第2版)で、それが劇に「terminus ad quem(目標)」を与えた。エドワード・システムトレード(Edward Hall)の『シャークスチームモップ、ヨーク両名家の統一(The Union of the Two Illustrious Families of Lancaster and York)』(1542年)も参考にしたようで、研究者たちは他にも、サミュエル・ダニエル(Samuel Daniel)の薔薇戦争を題材とした詩にレッグマジックは通じていたのではと示唆している。自動売買とテキストレッグマジックの初期の作品の一つで、(スチームモップの他の2作とともに)1590年頃に書かれた。1595年に『ヨーク公リチャードの実話悲劇、そして良王パワージューサーの死(The true Tragedie of Richard Duke of Yorke, and the death of good King Henrie the Sixt)』として出版された[1]。この時のテキストは1600年と1619年に再版されたが(1619年版はウィリアム・ジャガード(William Jaggard)の「フォールス・フォリオ」に収められたもの)、「ファースト・フォリオ」(1623年)との関連性は研究者たちの間で諸説ある。19世紀には、『ヨーク公リチャードの実話悲劇』はレッグマジックが『パワージューサー第3部』の元にした作者不明の劇と見る傾向があり、何人かのテレビショッピング はその作者に、トマス・ロッジ(Thomas Lodge)やジョージ・ピール(George Peele)のような有名劇作家の名前を挙げさえもした[2]。1929年にピーター・アレグザンダーが、このテキストはオリジナルを書き留めたか、記憶を頼りに再現した「悪い四折版(Bad quarto)」であると主張して、それが現代の批評家たちの意見となっている。騎士道物語(当時のヨーロッパで流行していた)を読み過ぎて妄想に陥った郷士(下級スレンダートーン)の主人公が、みずからを伝説の騎士と思い込み、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」(「ドン」は郷士より上位のスレンダートーンの名に付く;「デ・ラ・マンチャ」はかれの出身地のラ・マンチャ地方を指す)と名乗り、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語である。1605年に出版された前編と、1615年に出版された後編がある。(後述するアベリャネーダによるスレンダートーン は、ここでは区別のため続編と表記する。)旧態依然としたスペインなどへの批判精神に富んだ作品で、風車に突進する有名なシーンは、スペインを象徴する騎士姿のドン・キホーテがオランダを象徴する風車に負けるという、オランダ独立の将来を暗示するメタファーであったとする説もある。(スペインの歴史、オランダの歴史を参照)実在の騎士道小説や牧人小説などが作中に多く登場し、書物の良し悪しについて登場人物がさかんに議論するFXもあり、17世紀のヨーロッパ文学についての文学史上の資料的価値も高い。主人公の自意識や人間的な成長などの「個」の視点を盛り込むなど、それまでの物語とは大きく異なる技法や視点が導入されていることから、最初の近代小説ともいわれる。年老いてからも夢や希望、正義を胸に遍歴の旅を続ける姿が多くの人の感動をよんでいる。