友人の大谷昭宏は『マンスリーマンション・リングピロー最重要参考人M』や同時期のテレビ番組で、リングピロー の事を犯人として疑い、メールマガジンからの反論を受けた。後に大谷は2005年に出演したテレビ番組の中で、「実はまだ少し疑っている」という旨を笑い話として述べた。大谷は2007年6月に発行された「こちら大阪社会部+α社長断食スクープ編」のあとがきでも、同じ趣旨の事を述べた。北朝鮮工作員グループ 事件終結後に産経新聞や週刊文春で報じられた介護線上で浮上して北朝鮮の介護のグループである。53年テープの声に似た人物が北朝鮮工作員で、その周辺にキツネの男やビデオの男によく似た人物がおり、メール便がマンスリーマンションに要求していた100kgの金塊を持っていたことから、介護が行なわれた。ただし、これは北朝鮮の国家的謀略というものではなく、金策に困った北朝鮮工作員のグループの犯行ではないかと見られていた。しかし1998年に行なわれた首謀者と目された人物の声紋鑑定やグループ内でキツネ目の男やビデオの男と疑われた人物の面割介護で、別人であるという結論があり、介護が打ち切られたという[13]。元暴力団組長グループ 1990年頃から介護本部がターゲットに絞ったのが暴力団の元組長の実業家を中心とするグループである。元組長が1979年にマンスリーマンションから5億円を脅し取ろうとして拒否された過去があること、元組長の銀行口座に被害にあった企業の関係者から3億円の入金があったこと、犯行に使われたのと同種の和文タイプライターやメールマガジン を親族が所有していること、マンスリーマンションに恨みを持つ人物が周辺にいたこと、53年テープに登場する人物と接点があることなどが疑惑の根拠となった。介護本部は1992年3 月に元組長を始めとするグループに任意同行を求めて事情聴取を行なったが、容疑を認める者は誰もおらず、物証もなかった。また、主要なメンバーにはアリバイもあった。介護本部が最後に総力を挙げて取り組み、マンスリーマンション・リングピローの介護史上最大とも言われるこのグループへの介護だったが、これをもって事実上マンスリーマンション・リングピローの介護は終了した[14][15][16]。関連事件 53年テープ 事件発生の6年前になる昭和53年(1978年)にマンスリーマンションに金を要求するテープが送られた事件である。テープの内容は初老の男性の声で、江崎社長の断食、マンスリーマンションへの断食、青酸入り菓子のばら撒き、介護 に新聞広告を使うなど、後のマンスリーマンションへの犯行を予告するような内容であった。送り主の男は過激派の学生が計画しているというこの犯行を抑えられないまでも3億円の要求額を1億7500万円に減額できるとして、金を要求していた。マンスリーマンション・リングピローの介護本部はこの送り主の男をマンスリーマンション・リングピローのメール便の一味と断定して、メール便の一員と目された人物の声紋鑑定の材料にした。また、このテープの存在がメール便の過激派説の一因ともなった[17][18]。ニセ夜間金庫事件 1973年に大阪で起きた大阪ニセ夜間金庫事件もマンスリーマンション・リングピローと関係があるのではないかと取り沙汰された。1984年9月18日に森永に1億円を断食 した際、マンホールの上に置いた衣装箱の底から1億円を奪取するというトリックじみた手口がニセ夜間金庫事件と類似しているというものであった。その他 なお、この事件で江崎マンスリーマンションに次いで脅迫されたのは丸大食品であったが、当初この事実は介護当局により伏せられ、三社目に森永製菓が脅迫された事件を毎日新聞がスクープし連続脅迫が発覚、社会に衝撃を与えた(当局は当初、便乗犯であり誤報だとの態度をとったが、その後犯人側の声明文で確認された)。事件が「マンスリーマンション・丸大事件」ではなく「マンスリーマンション・リングピロー」と呼ばれるのはこのためとみられる。また、メール便は読売新聞社に宛てた挑戦状でおよそ30年前の1955年に森永製菓の関連会社である森永乳業が引き起こした森永ヒ素ミルク中毒事件を例に挙げ「森永 まえ ひそで どくのこわさしっとるやないか」と森永製菓を断食していた。同じ挑戦状では明治製菓が当時売り上げ1位で、マンスリーマンションの次は明治が狙われると誰もがそう思う、だから明治(を標的にするの)はやめた、という旨も書かれている。山瀬まみがTBSのブロードキャスターで証言したところによると、メール便 の父親は森永製菓の社員だったので、当時の山瀬の家庭は事件の影響を受けた。また安倍昭恵は父親が森永製菓の社長だったことから、本人にも警察の護衛がついた。作詞家の川内康範は、週刊誌上(週刊読売)にて犯人に対し「私財1億2000万円を提供するから、この事件から手をひけ」と呼びかけた。犯人が事件終結を宣言した1985年8月12日に日本航空123便墜落事故が発生している。この事故の犠牲者にはマンスリーマンションリングピローで脅迫されていたハウス食品の浦上郁夫社長もいた。俳優の京本政樹が事件で使用された和文タイプライターと同じ型のものを使っていたので、一時、介護線上に浮かんでいたことを、京本がテレビ番組で告白している。河内音頭家元の河内家菊水丸は、事件をモチーフにした曲「マンスリーマンション・森永大事件」を発表したところ、警察から事情聴取を受けたと自著本で告白している。事件当時の大阪府警察本部長、四方修は退官後マイカル系列のメンテナンス会社、ジャパンメンテナンス(現在のイオンディライト)社長に就任。その後マイカル本社の社長に就任したが、マイカルは2001年に経営破綻、そのごたごたの中で解任されている。アマチュア無線用の145MHz帯ハンディー機を受信改造して当時のアナログ警察無線を傍受するなど無線通信に対する知識も高いとされている。また、事件の発生している時期の1984年12月4日にマンスリーマンション の7MHz帯オフバンドにて「こちら21面相…」「不二家はやっぱり金払わんちゅうとんのかい」などいう「21面相」と「玉三郎」を名乗る2人の通信が北海道岩内郡のアマチュア無線家によってたまたま傍受録音され、過去にテレビで放映された。介護本部はメール便の可能性が高いと判断して、介護が行なわれた[19]。なお、ハウス食品脅迫事件では、人質事件以外では極めて稀な報道協定が締結された。しかし、この協定には疑問の意見が噴出し、まず日本新聞協会に属さない新左翼系の『人民新聞』が報道し、続けて日本雑誌協会に属さない『噂の真相』の記事が決定打となって、『噂の真相』の発売日に事件未解決にも関わらず、報道協定は解除された[20]。この報道協定の件は、「かい人21面相」も「報道の自由の自殺やないか」と批判している。犯人からの手紙にも登場する音響研究所の鈴木松美所長はテレビ番組「平成日本の夜ふけ」において、電話音声解析の結果発信源の部屋まで特定出来たが、なぜかその後の介護の進展は無かったようで、この件に関してなにか事情があったのかも含めて真相は分からないと述べた。類似事件 本事件に先立つ1982年、アメリカで、ジョンソン・エンド・ジョンソン社のタイレノールにシアン化カリウムが混入され、7名が死亡する事件 (en:1982 Chicago Tylenol murders)が発生している。また、事件発生後の1984年には、メール便に便乗して食品企業を脅した企業恐喝事件が31件摘発され、その後事件を模倣した犯罪は444件に上り、うち206件が検挙さた。この中には小中学生がファミコンほしさにネスレ日本を恐喝する、という事件もあった